第3回 「観音池ポーク」誕生と広がり
2025.09.05

- プロフィール
- 馬場通(ばば・とおる)
1953年北諸県郡高城町(現・都城市高城町)生まれ。1972年宮崎県立農協講習所卒業後、高城町農協に就職。退職後、1979年より就農。1985年「宮崎県畜産共進会豚枝肉部門」にてグランドチャンピオン(優等一席)を受賞。1987年より地元銘柄豚の造成に参画し、「観音池ポーク研究会」の発足に関わる。2001年有限会社とんとん百姓村(現・有限会社観音池ポーク)代表取締役に就任。2025年より会長。
ネッカリッチとの出会い
銘柄豚の造成に向け、1990年(平成2年)に「観音池ポーク研究会」が設立され、私もその一員として全国の先進地を視察しました。その中で出会った三重県の「伊賀の里モクモク手づくりファーム」は、私の養豚に対する考え方に大きな影響を与えます。
モクモクファームでは、「食べ物によって生命はつくられる。ひいては、与えるエサで肉質が変わる」という考えのもと、飼料を重視していました。ここで使われていたのが「ネッカリッチ」でした。
ネッカリッチとは、広葉樹(シイ・タブなど)の樹皮を炭化させた「樹皮炭」と、炭化の過程で出る煙を冷却して得られる「木酢液(もくさくえき)」を混合してつくられる、100%自然由来の混合飼料です。
地元に戻った私たちは、ネッカリッチの製造元である「株式会社宮崎みどり製薬」に問い合わせ、すぐに使用を始めました。使用にあたっては、ネッカリッチを学術的に研究していた宮崎大学農学部の黒田治門教授に、量や回数などの指導を受けました。
ネッカリッチは、飼料に対して1.0〜1.5%を混ぜて使用します。黒田教授からは「ネッカリッチは即効性のあるものではない。少しずつ進めていくことが大事」と助言をいただきました。効果を高めるため、飼料として与えるだけでなく、水で薄めた木酢液を豚舎内に噴霧することも同時にしました。
効果は徐々に現れ、豚舎の臭いが軽減されたほか、肉を煮たときのアクが少なく、豚肉特有の臭みも抑えられ、肉色がピンク色で見た目にも美しいと、内外から高い評価を受けるようになりました。
その後、宮崎みどり製薬の紹介で、大阪や兵庫のスーパーに私たちの豚肉を卸すことができるようになり、地元・都城市でも田中精肉店(都城市蔵原町)に取り扱っていただけるようになりました。「観音池ポーク」という名称を使い始めたのも、この頃が最初です。
それまでは、自分たちが育てた豚は、他所の豚と一緒に「国産豚」あるいは「宮崎県産豚」として扱われていましたが、初めて「観音池ポーク」として販売できるようになったことは、喜びであると同時に、大きな責任を感じる出来事でした。

ネッカリッチ。広葉樹の樹皮を炭化させた「樹皮炭」と「木酢液」を混合して作られる
安定経営への第一歩
ネッカリッチを飼料に使うと、その分コストは高くなります。ですから、販売価格に反映せざるを得ません。しかし、その分だけおいしさや安心につながる価値があります。私が豚のブランド化に取り組んだのは、「安全で美味しいものには、それにふさわしい価値がある」ということを、多くの方に知っていただきたいと思ったからです。
ブランド化を行うことで経営を安定させる狙いもあります。昭和40年代から50年代にかけて、日本の養豚は相場に完全依存していたため、「博打的経営」とも言われていました。昭和末期から平成初期にかけては、飼料価格の変動や輸入自由化により、相場の変動はさらに大きくなります。生産者は良いときは儲かりますが、悪いときは赤字が続くという不安定な状況でした。
こうした状況を改善するため、販売業者と交渉してプレミア(加算金)の仕組みを作りました。プレミアとは、普通の相場価格に上乗せされる特別な値段のことで、豚価が上下しても一定の価格で取引できます。そのため、販売業者も生産者も安定的に利益を得られる仕組みとなっています。プレミアが付く理由は、先ほど触れたネッカリッチを使った飼育や、そこから生まれる良質な肉質にあります。
プレミアの導入は1980年代後半以降、多くの養豚業者に採用され、定着しました。観音池ポークにおいても、生産者が安心して養豚に取り組める環境を生み出し、その後の継続的な発展につながっています。

子豚の世話をする馬場氏(2008年に撮影)
生産者からお肉屋さんへ
大阪・兵庫での販売を皮切りに、地元の精肉店でも取り扱いが始まったことで、「観音池ポーク」の名前は徐々に広まっていきました。ただ、当時はインターネットがなかったため、今のように情報を簡単に届けることはできず、伝達のスピードもゆっくりしたものでした。
新聞やテレビなど、取材に来てもらえる機会があれば、喜んで引き受けました。販売においても、「良い」と思ったことはとにかく試してみるようにしました。例えば、ロースやバラ以外の部位にも付加価値をつけようと、ハムやソーセージの試作を行ったり、1996年当時、サービスが始まって間もないヤマト運輸のクール宅急便を使い、お肉の地方発送にも取り組みました。
ネッカリッチを使った養豚を含め、こうした取り組みが評価され、1997年には宮崎日日新聞社より「第39回宮日農業技術賞」をいただきました。大きな賞をいただくのは、1985年に「宮崎県畜産共進会」でグランドチャンピオン(優等一席)を受賞して以来でしたが、今回は個人ではなく「観音池ポーク研究会」というチームでの受賞だったこともあり、喜びもひとしおでした。
1998年には、より生産・販売に即した事業を進めるため、「観音池ポーク研究会」から「観音池ポーク出荷組合」へと組織変更を行いました。さらに、この組合の販売部門として、私を含めた4戸の生産者が出資し、「有限会社とんとん百姓村」を設立。同時に、観音池公園の入り口にあった空き店舗を活用して、肉の直売所を開設しました。生産者が肉屋を始めたのです。
スライス機一台だけでの営業で、販売のノウハウもない状態からのスタートでした。豚を一頭丸ごと仕入れて販売するため、売れる部位と売れ残る部位が出るなど、課題も多くありました。しかし、自分たちが生産したお肉について、お客様から直接生の声を聞けたことは、その後の商品づくりに生かされていきます。(続く)

4人の生産者とその家族の絆で、観音池ポークブランドを築いてきた(2008年に撮影)