銘柄豚づくりへ向けて

「ふるさと創生事業」がきっかけ

畜産共進会でのグランドチャンピオン(優等一席)の獲得をきっかけに、もっといい豚を作りたい、もっと地域や消費者の皆さんに喜んでもらいたい、そんな気持ちが一層強くなりました。時は1985年(昭和60年)、私が32歳のときでした。

そのころ、養豚を取り囲む環境は変化していました。企業養豚が進み、特に大手資本の事業者が頭数を増やして収益を得るようになります。加えて豚肉の輸入自由化から十数年が経過し、市場は輸人肉の攻勢と国内の産地間競争にさらされていました。私たちのような小規模の養豚農家にとって、スケールメリットを追求するやり方は限界があり、大手資本に対抗するには、豚一頭一頭に付加価値をつけて収入を増やすやり方があっていると考えるようになりました。

そんな折、JA肉豚部会高城支部の担当技術員から「今までとは違った豚肉づくりに取り組んでみないか?」という提案がありました。当時はまだ、質より量の時代でしたが、少しずつ名前の付いた差別化豚肉を生産しようとする先進的な動きも出始めていました。

そこで、肉豚部会高城支部の会員や役場畜産課とも協議を重ね、銘柄豚づくりに着手してみようとなりました。豚一頭一頭に付加価値をつけて収入を増やすやり方を模索していた私にとって、この提案は願ってもいないことでした。

管内では新しい試みだったため、事務局を役場に置いてもらい、翌昭和62年度から素豚の導入助成事業を予算化してもらいました。素豚は食味の良さを主体に検討した結果、富山県の養豚場から雌豚20頭を導入することになりました。

そして、次年度は素豚を宮崎県の系統造成豚に変更して導入を継続し、少しずつ種豚を増やしながら、出来た肥育豚の豚肉は「観音池まつり」で試食販売するとともに愛称ネームも公募し、「観音池ポーク」に決まりました。

また平成2年には、銘柄豚肉作りを強力に推進するため、「高城町観音池ポーク研究会」(事務局:高城町役場畜産課)が設立されることになったため、早速一員として、銘柄豚の研究に加わります。折りしも、国が各市町村に対し、地域振興のために1億円を交付した政策、いわゆる「ふるさと創生一億円事業」が実施されており、この研究会にも活動資金として交付されることになりました。

銘柄豚づくりに向けて本格的に動き始めることになります。ともあれ、そもそも銘柄豚とは何か、どこに銘柄豚の特徴をもっていけばいいのか、暗中模索からのスタートになりました。

観音池ポーク初期のPRチラシ

観音池ポーク初期のPRチラシ

人生初「豚しゃぶ」を食べる

さしあたり銘柄豚の造成に取り組んでいる地域へ視察に行くことになりました。埼玉県、静岡県、三重県、岩手県などの事例を見させてもらいました、中でも印象に残ったのが三重県の「伊賀の里モクモク手づくりファーム」(以下、モクモクファーム)でした。モクモクファームは三重県伊賀地区の中小養豚家が集まってできた組織が母体になっており、「伊賀山麓豚」という銘柄豚を生産しています。

ここでの視察では、その後の私たちの豚づくりに大きな影響を与えることになります。まず一つ目は豚肉の「食べ方」です。試食の席で、当時では珍しい「豚のしゃぶしゃぶ」が出たのです。牛のしゃぶしゃぶは食べたことがありましたが、豚のしゃぶしゃぶを食べたことはありませんでした。食あたりしないのだろうかと不安でした。食べてみると、臭みがなく、とても柔らかいお肉でした。もちろん、食あたりもしません。湯にくぐらせて食べるしゃぶしゃぶは、煮たり焼いたりする食べ方より、素材そのものを味わうことができます。お肉のおいしさをアピールする手段として良いと感じました。

二つ目は「エサ」です。モクモクファームでは飼料に“あるもの”を加えていました。専務の吉田修さんは私たちにこう言いました。

「松阪牛は肉質を良くするためビールを飲ませていますが、私たちは『酢』を与えているんですよ」。

酢とは木酢液を添加した飼料のことで、のちに観音池ポークでも採用することになる「ネッカリッチ」のことでした。モクモクファームでは、ネッカリッチを使うと解体した肉の色つやがよく、加熱しても縮みが少ない。つまり豚の健康によい飼料だと分かり採用に至ったそうです。このネッカリッチは、聞くと宮崎県の会社から仕入れていると言います。後に取引することになる「宮崎みどり製薬」でした。ネッカリッチの存在を始めて知り、さらに私たちの地元・宮崎県で製造されていたことに惹かれる思いでした。

伊賀の里モクモク手づくりファームにて、役員から説明を受ける(1991年2月)

伊賀の里モクモク手づくりファームにて、役員から説明を受ける(1991年2月)

商品の「価値」を伝える

モクモクファームは、ソーセージづくり体験も活発に行っていました。体験を通して商品の価値を知ってもらうとの考えです。また根底には消費者に農と食のつながりを感じてもらい、生産者もモノをつくるだけでは成立しない時代であり、加工・販売まで自らの手でやる必要がある。それは若者が農業で生活できる環境を整えることにもつながるとの思いがあります。昨今、よく耳にする6次産業化を20年以上も前に実践していたのです。モクモクファームの先進性は、現在この場所が農場、体験・宿泊施設、レストラン、物販施設などを備えた三重県を代表する観光牧場になっていることからも伺い知れます。

私たちもモクモクファームに倣い、地域の小学校を周り「手づくりウインナー教室」を始めました。これは今も続けています。モクモクファームと同じように商品の価値を知ってもらい、少しでも地元の農業のことを知ってほしいという思いです。

売上には直接つながらないかもしれませんが、ウインナーづくりを経験した子どもたちが将来、大人になったときに親しみをもって私たちの豚肉を買ってくれたら嬉しい、そんな気持ちでやっています。そして何より自分たちも楽しみながらやりたいと思っています。

これまでの養豚の仕事で感じたこと、先進地へ行って得られた体験が糧となり、私たちが目指す銘柄豚のイメージが次第に見えてきました。(続く)

観音池ポークが行う「手づくりウインナー教室」の様子。教室は今も継続して行っている。

観音池ポークが行う「手づくりウインナー教室」の様子。教室は今も継続して行っている。