直売所の挑戦と、再出発への道
baba_photo
プロフィール
馬場通(ばば・とおる)
1953年北諸県郡高城町(現・都城市高城町)生まれ。1972年宮崎県立農協講習所卒業後、高城町農協に就職。退職後、1979年より就農。1985年「宮崎県畜産共進会豚枝肉部門」にてグランドチャンピオン(優等一席)を受賞。1987年より地元銘柄豚の造成に参画し、「観音池ポーク研究会」の発足に関わる。2001年有限会社とんとん百姓村(現・有限会社観音池ポーク)代表取締役に就任。2025年より会長。

全部売り切って商売になる

「観音池ポーク」の名前を、もっと地域の人たちに知ってもらいたい。
そんな思いから国道10号沿いの現在地に直売所を開設しました。2001年のことです。
高城町のシンボルでもある観音池公園の入り口に位置し、通り沿いで目につきやすいことからもこの場所が最適と考えました。スライス機を1台置いただけの、本当に小さな店でした。今でこそ「生産者直売」は珍しくありませんが、当時はまだそういう時代ではありません。

私たちは長年、豚を育てることに力を注いできましたが、「販売」についてはまったくの素人でした。専門知識のある販売員もいません。保健所の営業許可を取り、外部から指導を受けながら、一つひとつ覚えていきました。パート従業員1名と生産者の奥さんたちが手伝うところから始まりました。販売するのは精肉のみで、初年度の売上は、3,000万円弱でした。

売上を作る以上に難しかったのは、「一頭買いした豚を、どう売り切るか」でした。ロースやバラ、ヒレは売れても、ウデやモモはどうしても余ってしまう。生産だけをしていた頃は、そこまで考える必要はありませんでした。でも販売を始めると、「全部売り切って初めて商売になる」という現実を、強く感じるようになりました。

一方で、直売所ならではの収穫もありました。自分たちが育てた豚を自分たちの手でお客様に届けられる。そして、その場で感想を聞ける。

「脂が甘かったよ」
「また買いに来たよ」

そんな声を直接聞けることは、生産者にとって本当に励みになります。お客様が肉を買って帰るたびに市場調査をしているようなものでした。肉質や加工方法を見直すきっかけにもなり、結果的に品質向上につながっていきました。

開業当時の直売所(2001年)

開業当時の直売所(2001年)

地域に根ざしたブランドを目指して

2002年頃からは、観音池ポークの認知を広げるため、地域とのつながりを意識した活動にも力を入れるようになりました。観音池公園では、毎年3月「さくらフェスタ高城」が開催され、多くの観光客が訪れます。私たちはそこで、地域に根ざしたブランドを目指し、様々な企画を始めます。

最初は「豚の丸焼き」の無料試食です。その後は、岩手のわんこそばをヒントにした「わんこしゃぶ大会」、そして子どもたちが子豚を追いかけて競争する「ブーブーダービー」などもやりました。

「おもしろいことをやっている養豚農家がいる」
「観音池ポークって楽しそうだ」

そうやって、少しずつ地域の人たちとの距離が近づいていった気がします。また、食育活動にも積極的に取り組みました。以前にもお話ししましたが、小学校、中学、高校などへ出向き、「手づくりウインナー教室」や「とんとん教室」と銘打った出前授業を行いました。

子どもたちは自分たちで腸詰めしたウインナーをボイルし、出来上がったものをみんなで食べます。ただ「作って楽しい」だけではありません。小学生には、「私たちは他の動物の命をいただいて生きている」ということや、「食べ物への感謝」を、中高生には、養豚が単なる農業ではなく、飼料会社や薬品会社、流通、販売など、多くの仕事とつながりながら地域経済を支えていることを伝えました。派手な広告費をかけられるわけではありません。だからこそ、地域の中で顔を見せ、実際に触れ合いながら信頼を積み重ねていく。そういう草の根の活動が、観音池ポークの土台になっていったのだと思います。

ブーブーダービーの様子

ブーブーダービーの様子

メンチカツ誕生

そして2004年、新たな挑戦として惣菜販売を始めます。きっかけは、精肉として売れ残りやすい部位をどう活用するか、という課題でした。特にウデやモモは余りやすく、「何とか価値ある商品にできないか」と考えていました。

そこで、生産者の婦人たちが中心となって考案したのが、野菜をたっぷり入れたメンチカツでした。ただ、私たちには惣菜販売の経験がありません。

そこで、市外で惣菜販売をしている店舗まで足を運び、現場を見せてもらいながら、作り方や販売方法を学びました。経験がないなら、自分たちで学びに行くしかない。そうやって少しずつ形にしていった商品です。当初の価格は1個70円でした。利益よりも、「まずは食べてもらいたい」という思いの方が強かったです。

味には自信がありましたが、そう簡単には売れませんでした。転機になったのは、地元ケーブルテレビの取材でした。放送後、「観音池ポークのメンチカツがおいしい!」と口コミが広がり、一気に人気商品になっていきました。

現在では観音池ポークを代表する商品になっていますが、当時はここまで長く愛される商品になるとは思っていませんでした。

「野菜たっぷり」をコンセプトにしたメンチカツ。店の看板商品になっていく

「野菜たっぷり」をコンセプトにしたメンチカツ。店の看板商品になっていく

洪水、そして再出発

惣菜販売が軌道に乗り始めた2005年、大きな試練が訪れます。長雨と台風による洪水で、店と加工場が1メートル近く浸水してしまったのです。夕方、水が引き始めたころ、膝まで水に浸かりながら店へ向かいました。ようやくたどり着くと、店の中は泥だらけで、どこから手をつければいいのか分からない状態でした。肉も、販促資材も、器材も、多くを処分せざるを得ませんでした。
その時、正直に言えば、私はかなり弱気になっていました。

「もう店をやめてもいいかな」

どこかで、「やめる口実ができた」という気持ちもあったと思います。片付けをしながらも、「本業の養豚だけに戻ろうか」と考えていました。
けれど不幸中の幸いだったのは、パソコンが机の上にあり、無事だったことです。電源を入れると動き出し、顧客名簿も残っていました。そして何より、女性スタッフたちが前向きでした。

「これが残っていれば、また再開できます」
「みんなで片付けましょう」

こういうとき、女性は本当に強いでものです(笑)
声をかけてくれる姿を見て、自分の方が励まされました。そして観音池ポークには、応援してくださるお客様がいる。一緒に頑張ろうとしてくれる仲間がいる。そのことを、あの洪水の中で改めて実感しました。
もしあの時、本当にあきらめていたら、観音池ポークは続いていなかったかもしれません。振り返れば、あの出来事は単なる災害ではなく、「人に支えられて商売は続いていく」ということを教えられた、大きな転機だったように思います。

2005年に店舗を襲った水害。足元を見つめる機会となった

2005年に店舗を襲った水害。足元を見つめる機会となった